演技に必要な感性—正しいリラックス・集中力・想像力

多くの人が間違った集中力、緊張の取り方で
才能・時間・情熱を無駄にしています

【リラックス】

「緊張があるとき、人は考えたり感じたりできない」 / リー・ストラスバーグ

リラックス(緊張が取れている状態)の効果
 ・潜在能力が発揮される
・感情、表現が豊かになる
・集中力、想像力がつく
・子供のように自由に楽しめるようになる

このワークショップで、もっとも重点を置いている要素です。
リラックスの対極にあるのは緊張です。
緊張はすべての能力・可能性をつぶします。

私たち現代人は日常から時間や仕事に追われ、心が落ち着く時間がなく、
心身ともに緊張に支配され、感受性が奪われ、鈍感になっていってます。

また子供の頃より感情や表現を抑圧されています。
日常生活で抑圧の癖がつくと、演技の時にも泣きたくても泣けない・涙も出ない、
「硬い心」の状態になります。
当然、日常から 「硬い心」では、より緊張する演技の時に本当の感情が
あふれるように表れる事は難しいです。
演技では、反対の「感じやすさ」 「柔軟な心」が必要です。
演技で必要ということは日常から必要ということです。

リラックスに関しては、大きく誤解されていることがあります。
私たちの言う 「リラックス」 とは、身体の緊張を取る事も含みますが、
それ以上に心の緊張・枠・理性・観念が 取れた状態のことです。
(心や頭の緊張・枠が取れると、身体の緊張も取れているものです)

そして、日常レベルのリラックスではなく、根底的な緊張・心の枠の取れた
深いリラックスのことです。
日常レベルとは、ただ 「だら~」 とする事です。
「だら~」のように集中力の伴っていないリラックスは、演技では使い物になりません。
あと、身体だけのリラックス、あるいは心理的なものを含んでいても浅かったりで、
全体的に「リラックス」の 解釈・ 重要度・可能性・訓練法を捉え違いしていると思います。

では、リラックスが良くなると、どういう効果や技術が身に付くのか気になると思い
ますが、まずは身に付くものより、 身に付いてしまった心・頭のサビが取れていきます。

サビとは、 躊躇・テレ・遠慮・尻込み・アピール・自意識・他人の目・理屈・強がり
・いい人の仮面・ 警戒心 ・猜疑心・狭くて偏った価値観・柔軟性のない真面目さ
・成功を求めすぎる・焦り・頑固・ 経験(経験とは大事なものですが、
経験だけに 縛られると臨機応変な判断が鈍ります)
などたくさんありますが、
元をたどればほとんどが何らかの恐怖心です。
すべて演技の妨げになります。

大人になってついてしまった上記のようなサビが取れると、もともと子供の頃に
持っていた下記のようなものが 芽生えだしてきます。
俳優にとって、テクニック以前に大事なものです。
好奇心・興味・工夫・自由・楽しもうとする遊び心・疑わず信じる・率直な(素直な)
感情や欲望 や衝動 (時には残酷ですが)・結果を考えない・まず行動する・協調性などです。

良い悪いでなく、子供は自分の心に素直だからイキイキしていて、演技でも素直な
感情が表現されています。 (養成所でフリ・型を教えられた演技は別です)
私たちもまず子供のような心を取り戻す必要があります。
他の効果として
・状況やセリフ、想像を信じやすく、影響されやすくなる。
  (ものすごく大事なことです。俳優は想像の世界を信じようとしますが、
いつも理性がストップ をかけます。 その理性が緩みます)

・心のワクが緩んでるのでいろいろな感情があふれやすく、表情豊かになる。
・心、身体とも繊細で感じやすくなる。
・集中力、想像力、表現力、信じる力、感受性、感情などに影響を与える。
・落着き、自然体になり、無理強いしなくなる。
・結果、演技っぽくない自然な演技になる。

すべてリラックスが導いてきます。
その後に、技術的なものをやらないと小手先だけになってしまい、 魅力も真実味も
無いものになってしまいます。 心に影響を与えない「だら~」
「日常レベルのリラックス」では、演技に使える種類ではないし、 深さではありません。

リラクゼーション・野口体操という訓練でリラックスに導いていくのですが、
根気強く、 徹底的にやらなければなりません。
ある程度リラックスできるようになっても油断してはいけません。
油断すると「サビ」はすぐに忍び寄ってきます。
俳優は「サビ」「緊張」とはずっと向き合っていかなければならないのです。

リラクセーションは少しやったぐらいで出来るものでありませんし、
少しのリラックスでは大きな 効果は生まれません。
リラックス出来てるかどうかのバロメーターは、「出来てるかな?」の
状態ではまだまだで、 深いリラックスをしていれば、自分自身で確実に分かります。

リラックスについては、特にリラクゼーションの訓練法が効果的です。

 

【集中力】

上記のリラックスと並び俳優には非常に大事な要素です。
そして、リラックスと集中力は互いに関係・影響しあっています。
リラックスが良くないと集中が出来ず、集中が良くないとリラックスも出来ません。

例えば上記のリラクゼーションも集中力が伴っていないと演技で使える
リラックスにはならないのです。
集中力がないと 「だら~」 「日常のリラックス」 になり、心理などに影響しないのと、
意識的にリラックスに 導いたのでないので 演技時に緊張しても対処の方法が分からないからです。

リラックスはそれ自体の練習 (リラクゼーション) で取り除くのと、
あることに集中することによって緊張が 取れます。
演技中に役あること(役がやろうとしている事・興味がある事物・相手のセリフなど)
に対して 「考え・判断」 します。
それを、ただ 「考えてるフリ」 でやるのでは何も始まりませんが、
「今そこで俳優が役として本当に 考え出したら、感じ始め、 役を生き始め、リラックスしはじめます」 。
紋切りの演技でなく、その人固有の反応・表現が生まれてきます。

緊張とは、「良く見せたい・うまくやりたい・他人の目」 などの演技とは本来関係ない
所に意識が行っているか、 あるいは 「何をやるべきか分からず不安」 という理由で生じます。
ですから、あることに集中することによって、「良く見せたい」などの関係ない所に
意識が行くのを防ぎ、 「考え・判断」 という、やるべきことが見つかるので、
不安から来る緊張を感じる隙がなくなり、 リラックスが生まれます。

そこで大事になるのは集中する為の対象となるあることを具体的に見つける事です。
集中とは、漠然と 「集中しよう」 と思っただけでは集中できません。
集中とは、興味を引かれる具体的な対象があり、それに 「意識」 が行くことです。
ただ、対象を具体的にするだけでなく 「興味を引かれる」 ものにしないといけません。
興味のない事物には集中できませんが、興味がある事物だと集中できるように、
演技では興味のある対象 を見つけるか、 興味が湧くように正当化されてないとなりません。

興味のないものに対して人は自発的に考えたり・想像したりしないからです。
俳優自身は考え・想像しようと思っていても、それは無理強いになり、自然に機能しません。
人間の本能 として興味のないものに対して、自然に考え・想像は働きません。
人間は、日常生活でどんな些細な会話で あっても考え・判断・想像力を 少なからず使っています。
それは、自分ごとだからです。

演技の時、「集中」というと、心も身体も前のめりになって一生懸命やりがちですが、
それは間違いです。
一生懸命やると心が感じる余裕がなくなるからです。
何事も無理強いすると、自然な人間の機能や感覚が 働かなくなります。
余裕を持って、気楽に「注意をかたむける」という感じでやることです。

まとめると、
・集中はリラックスと相互関係にある
(実はリラックスだけでなく、他のものとも関係 ・ 影響し合っている)
・具体的で 興味のある対象を見つける。
・一生懸命になりすぎない。

 

【注意の方向】

これは上記の「集中力」の、具体的な対象についてです。
俳優の集中の対象とは、舞台上の人・物など形あるものや、(役の)考え・想像
・思い出などのように 形の無い内的な ものなどさまざまです。
そして、一点集中でよい場合もありますが、多くの場合、一点集中でなく広い
範囲に注意が向いてる 必要があります。 それが、役の生活感のある自然な演技を生みます。

実生活を思い出してみてください。 机に向かって作業している時に、
後ろから声をかけられたからといって、必ず振り向くとは限りません。
前を向いて 作業を続けながら、 後ろの人と話したりもします。
つまり、「集中」というほど大袈裟なものでなくても「軽い注意」が
前と後ろに 行っているのです。

他に、実生活である作業をしている時、次の次の次の事ぐらいまで考えながら
段取りよく作業をすること があります。 意識(注意)が目の前の作業より先に行ってるのです。

しかし、演技になると緊張や気持ちが前のめりになって、目の前のもの
しか注意の行かない (一つしか注意の行かない)狭い 範囲の注意の方向だったり、
先の先まで意識が行ってないものになります。

上記の二例で言うと最初の 場合は、 後ろからの声が聞こえなかったり、
作業と話を二つ同時にできないということです。
後の例は、一つ一つにしか注意が行かなくて、そのたんびに作業が中断してしまうことです。
両方とも注意の方向を使い分けれていません。
この二つの例はまだ簡単な方ですが、注意の方向が使いきれてない演技を本当によく見ます。
取って付けたような演技で役全体がぎこちなく、お客さんはすぐに「?」となります。
俳優自身も「?」となり役の生活感をつかめません。
役の生活感とは一番のベースになるものです。存在そのものです。
それがないと、何をやっても成り立ちません。

逆に言うと、実生活と同じように舞台でも注意の方向を使えたら、自然の感覚になり
リラックスも集中 も良くなり、 生活感も生まれてきます。

他のテクニックとして、役の解釈がどうしても分からない時、今まで向けていた
集中の対象を思い切って変えるか、 集中の強弱を変えると、役が見つかるかもしれません。
今まで、間違った対象に無理やりリアリティーや感情を押し込もうとしていたのかもしれないからです。
やはり、無理やりや押し込みは自然の感覚を殺します。

例えるなら、ジグソーパズルをしている時、形や模様が似ているからといって
グイグイ押し込んで、 「何とかはまったな」と言う時は間違っています。
ジグソーパズルで正しい時はスポッとはまります。

演技の場合もある程度訓練されてると注意の方向などが正しい時はスポッと
はまる感じがつかめます。
無理強いしている時は、何かが間違っている事が多いです。
演技の時の場合ばかり述べましたが、リラックスや集中力など、内的なものを
育てていくのも注意の 方向が絶対必要です。

注意の方向については、架空対象行動、身体的行動が効果的な訓練法です。

 

【想像力】

想像を喚起するのは存在するものではなく
存在する可能性のあるものである。
現実でなく可能性である。  / ルドルフ・シュタイナー

俳優に想像力はなぜ必要なのですか?と質問されることがあります。
その人たちは、「作家によって作られた作品には、ストーリー・セリフが決まっている。
動きや解釈も演出家によって決められる、なのになぜ俳優は想像力が必要なのか?
また、必要であるなら、どんな時に使えばいいのか?」と言います。

ここで一番に問題になるのは、俳優と演出家との関係です。
(これについてはこの項の最後に詳しく書きます)

すべてを演出家に委ねて良い演技、つまり深く微妙な感情まで表せられるの
ならいいのですが、 そうはいきません。
なぜなら、想像力なしに演出家に言われたとおりにできるのは外的なものだけです。
「演出家に言われた動き・解釈にリアリティーを入れればいいんでしょ!」となりますが、
その時には想像力は必ず必要になります。


※自分に与えられた役の「役の生活」が台本にすべて書いてあると思いますか?
たとえ、主役であってもすべては書かれていません。
物語が始まる前は役はどういう生活をしてたのか?
何に興味があって、どう関わり合っていたのか?
物語が始まってからも、自分の役の事が書かれてない時は何をしてたのか?
登場する時も、どこから、どういう手段で、何をするために来たのか?
これらがないと、ただ、舞台に出てそれっぽく振舞って、それっぽくセリフを言う、
という演技しかできません。
それでは、役が自分の中で一本筋が通らず、ブチブチ途切れた継ぎはぎだらけの物になります。
作品ともつじつまが合うように、より自分に刺激的であるように、
書かれていないところは俳優自身が想像力を使って 創作しなければなりません。


上記の①に書いてあるのは、どこから来たのか?何をしてたか?という外面的な事ですが、
演技には当然内的なものも必要です。
役の解釈や気持ちです。
演技では、自分が体験した事がないような事も求められます。
与えられた状況・役の立場を想像してみてください。

「もし、この状況で私が役の人物なら私は何をするだろう?」(スタニスラフスキー)
と想像してみるのです。
本ではこう書いてる、演出家はこう解釈しているというのをまったく無視していいです。

本・演出家に指定されてるという理由で 「こうならなければならない。こう感じなければ行けない」
というように、手荒く強制すると、 想像力や感情など内的なものは機能しないか消えていきます。
自分の想像を規制するものを取り、「もし自分だったら?」と本気で考えると、
どんどん想像力が働きだし、思考・感覚・衝動も刺激され、 感情も揺れ動かされていきます。
当然、すべてが役と同じような選択をするということはないでしょう。
でも、それでいいんです。想像して生まれた衝動・思考自体は俳優自身の本物です。

でも、これは俳優自身の衝動・思考であって役の物ではないので、このままでは演技に使えません。
役にアプローチする最初の段階で「あなたなら何をするか?」と想像し、その結果と、
役(本・演出の求めているもの)との 相違点を見つけます。
似ている点はとりあえずよしとして、似ていない点は、
「私は、役がこの状況でやっている事をする為には何をするべきか?」(ワフタンゴフ)
つまり、さっき自分が想像して起きた感情・行動・衝動的反応と役に求められてる
反応とのギャップを正当化して、自分自身に納得がいくように埋めなければならないのです。
よく俳優は台本について※① 「私はこんなこと言わない。こんな事しない」といいます。
それを、「言うかもしれない。 やるかもしれない」と自分自身が思えるように、
本の内容を歪めずに、本に書かれていない状況や動機を想像で作る事を正当化といいます。

例えば、押しの強いセールスマンの役だったとしましょう。
俳優は「私にはセールスマンはできない。しかも、押し売りのようなのはムリ」と
心に思うことがあります。
多くの人が「押しの強いセールスマン」の役に気兼ねするでしょう。
実生活ではやりたくないからです。
でも、本には特に書かれていなくても、このセールスマンは自分が贅沢したいから
押しが強くなったのでなく、 自分が育った孤児院にたくさん寄付するために
押しが強くなったと想像したらどうでしょう?
少しはやってもいいかなと思えるようになったんじゃないですか?
別に思わないというのならそれでもいいです。人それぞれ、価値観が違うからです。
自分の心を動かされるような別の、設定・状況・動機をみつけるのです。
決して感情を見つけようとしてはいけません。
感情は動機などを見つけ想像した結果、起こるものだからです。
「直接、感情をつくる事は出来ない。感情とは、結果だからです」

さっき、「別に思わない」と感じた人も、もっと深く細かく想像したらどうでしょう?
自分が育った孤児院での子供時代。
何をして遊んだか?先生はどう優しかったか?
たまに食べた甘くておいしいおやつ。今の孤児院の経済状況。子供たちの笑顔など。
深く細かく想像すると、心への影響は変わってきます。
それを、頭だけの想像でなく、「五感の記憶」というエクササイズで、
想像を身体全体で体感できると、より強くなります。

多くの人の場合、自分の事ではがんばろうとしないが、好きな人の為なら
がんばろうとする力があります。
しかも、否定的なエネルギーでなく、肯定的なエネルギー(愛情など)で、
信念のように強くなっていくと、 ものすごいエネルギーになります。
こういうことを想像の手助けにして正当化していけば「私はそんな事やらない」
から「やるかもしれない」に変わっていくでしょう。

さっきの例え話の続きですが、寄付するお金がセールスマンの仕事ではどうしても
足りないのなら、 もっと稼げる犯罪に手を出すかもしれません。
犯罪自体は当然悪い事ですが、それ以上に孤児院への愛情が強ければやってしまうかもしれない。
犯罪者の役をやる時に本に書かれていなくても、それぐらい具体的な動機を
つくってないといけません。
(ただ、犯罪者の多くは自分の欲望のために犯罪に手を染める事が多く、
欲望のための犯罪者の役をやるのに、 先の例え話の孤児院への寄付という正当化はダメです。
作品や役をネジ曲げてしまっているからです。
犯罪者の役の場合「感情開放」の「エゴの開放」をやってないとなかなかできません。
なぜなら、人には良心や理性がありエゴ・欲望をすべて吐き出す事を自然と抑制してしまうからです)


①は何をしてたか?②は正当化・衝動の導き方でしたが、③では想像での場所についてを書きます。

例えば、舞台で 「夏のビーチ」 という設定としましょう。
夏のビーチには独特の雰囲気があります。
恋に落ちやすかったり、ワクワクしたり。
舞台のセットは夏のビーチっぽく作ってくれるでしょう。
しかし、それは作り物のセットに違いありません。
作り物のセットでは、俳優の心を夏のビーチの気分になるような影響を与えてくれません。
あの独特の気分だから言える恥ずかしいセリフもあるでしょう。
つまり、あの雰囲気・気分を俳優は自分で用意しなければならないのです。
その一つの方法が、「五感の記憶」で場所をつくる方法です。
練習でちょっとやって成果の出るものではありません。とにかくやりこむのです。
本番の時に「夏のビーチ」をつくろうなんて意識しなくても、そんな気分になれるように。
そしたら、恥ずかしいセリフも言えるでしょう。
ハメを外した行動も理解でき、自分の自然な衝動が生まれやすくなります。
しかし、どんなビーチを 「五感の記憶」 で想像しても心に影響を与えるかと
言うとそうではありません。
自分の過去に役と似た体験があれば、自分が実際に体験したビーチを作るのが
影響を与えやすいで しょう。
あるいは、行った事がなくても自分がその気になれるようなイメージのビーチを
作っておいてもいいかもしれません。

では、映像だったら実際にビーチに行くからそんな準備はしなくてもいいのでしょうか?
正直、準備しなくてもいい場合もあるでしょうが、多くの場合は準備していた方がいいです。
その実際のビーチでは自分の 心に影響を与えないからです。
そして、実は自分の体験したビーチに実際に行ったとしても演技に使えるほど
感じないことが多いからです。
なぜなら、緊張と言うのも一つの理由ですし、もう一つは想像力や集中力が
伴っているほうが、現実よりも感じやすく 影響されやすい事があるからです。
想像力や集中力は、現実に勝る心の扉のカギなのです。

他にも、実際の演技の時や、役の準備、基本的な俳優の能力を育てるための
エクササイズ・読解力 などで想像力はいろいろな事に使われます。

俳優と演出家の関係

よくあるイメージでは、演出家がえらくて、その言うことを俳優は聞かないといけない、
と誤解している俳優や演出家が多いです。
しかし本来、俳優と演出家はある意味対等でなければなりません。
演出家にプランがあるように、俳優にも演技プランが必要です。
もちろん演出家の言う事、全てが正しいわけではないので戦う事もあるでしょうが、
なにも、 俳優が演出家と戦うのを勧めてる訳ではありません。

俳優も想像力を使って考えて、例え演出家と意見が違ったとしても、
やっと演出家と対等に話ができ、 自分の解釈を踏まえた上で、演出家の言うことが理解できるようになるのです。
自分でも演技プランがあると言う事は、「踏まえる考え」があると言う事です。
「踏まえる考え」無しに、 演出家の言うことを素直に聞いていただけでは、
絶対に役を深く掘り下げれません。絶対です。
自分の感情的反応を演出と絡める事によって深くなるのです。
ただ聞いてるだけは「素直」と言うのでなく、「放棄」あるいは、「無気力」といいます。

もともと俳優になりたいと思った時は、「表現したい」というエネルギーがあったはずなのに、
知らないうちに「自己を無くした、演出家の将棋の駒」になっていませんか?
それって楽しいですか? 段取り良くいくのがいい演技と勘違いしていませんか?
演技ってもっともっと深くて、自分自身だけが武器で、 いつも身を削るようなギリギリだけど、
喜びのあるものですよ。

以上は俳優の至らなさについて書きましたが、演出家も俳優以上に勉強不足の方が大勢います。
俳優の想像力を働かせる練習内容・期間・雰囲気を作らず、自由を奪い、演出を押し付け、
完成を急ぎ、 結果的に表面上だけの芝居にしてしまっています。
「与えられた演出にリアリティーを入れるのが俳優の仕事だろ」と言います。
自分が俳優の邪魔をしている事も気付かずに。
「俳優の心理・創造のプロセス」をもっと勉強してもらって、俳優を上手に導いて
いけるようになったら、 演出のイメージ通りに作品が仕上がっていくと思います。

 

【信じる力・影響される心身】

100%信じようとするのはダメ。役になりきろうとするのもダメ。
想像力も結局はそれを信じて、心身が影響されなくては意味がありません。
一般的に想像とは頭の作業です。 しかし、俳優の作業は頭だけでなく、心身で体感し、
体現することです。
(ほとんどのエクササイズはその為にあります)頭と心身との間を橋渡しするものが必要になります。
それが、「信じる力」 です。

与えられた環境・自分や相手のセリフ・関係性など、演劇における事物はほとんどが想像のものです。

信じると言っても、想像のものを100%信じる事ではありません。
本当に信じてしまったら病気ですし、100%信じたからと言って、良い演技になるとは
限らないし、 100%じゃなくても充分良い演技は出来るからです。
100%信じるのは意味の無い事でもあります。
理由は、演出やセリフなどを忘れてしまい自分を操作できなくなってしまうことが多いからです。

演技には、二面性が必要です。役として感じている自分と、それを操作している自分です。
ただ、「操作している自分」 はほんの少しで大丈夫です。
多くの場合は、「操作している自分」の割合が多すぎて、良くない意味での「冷静」
になっていますので、 「役として感じて、熱くなる」の を妨げてしまっています。
ですから、もっと冷静・理性を取って役として熱 くなるためには、上記の想像力の
「興味をそそられる具体的な対象」を見つける事です。

演技における、「信じている状態」 とはスタートラインとして
「あくまで想像で、本物では無いのを知って いるけど、なんとなくそんな気がする」
「その気になろうと思えばなれる」
状態の事です。
子供のママゴトと同じです。
あれを本気で出来る子供たちも、砂が白いご飯に見えてる訳ではないです。

「なんとなくそんな気がする」という所からスタートして、 ストップをかける
理性や猜疑心がないから、どんどん信じちゃうのです。
「なんとなく」で良いと言うことは100%で なくていいと言うことです。

人は想像する時、100%や80%ぐらいを目指して、せっかく50%出来ていても
「50%じゃ嫌だ。 50%でOKを出しているとそれ以上成長しなくなりそうだし、 嘘ついてるみたいで嫌だ」
となり、今の50%を認めないで否定します。
誠実な演技、リアルな演技を心掛けてる人ほどその傾向にあります。
しかし、いきなり100%のようにハードルが高いと、心はプレッシャーに感じ、
想像を受け入れなくなるのです。
そして、100%を目指してると心が傲慢になり、 繊細さが無くなり心の小さな動きに
気付いてあげれなくなります。

「100%でなく、1%でいい」とやるのです。
1%に気付いてあげる繊細さ、認めてあげる寛大さが、 心の小さな動きに敏感になり、
ハードルも低いのでプレッシャーを感じず、1%でいいと思って始めたのに、
10%、30%と信じる力は増幅していきます。
1%で良いと言うことは、99%出来てないと言う事ですが、99%の方には目を向けない、
否定を入れないことです。
信じる力だけでなく想像力も集中力も「ちょっと違うなー」「今日は調子が悪いなー」と
否定が入ると心は閉ざし、 受け入れられなくなります。

例えば、想像で場所を準備した方がいい時、想像で「作ろう」としてはいけません。
「作る」ということは「今、本当にはその場所にいない」ということで、
今から見る景色はニセモノだ、と否定している事を心は感じ取るからです。
作ろうとするのでなく、「もう、そこにいる」という心構えから入り、
「もうちょっとよく見てみよう」という感じで 対象の景色を見てみるのです。
少しおかしいなと思っても、全て受け入れるのです。
現実で変わったものを見たとき、「変わってるなー」と 思いながらも
現実だから受け入れるように、 想像も否定をせず受け入れるのです。
作ろうとするのは、外に意識(注意の方向)がいきますが、「もう、そこにいる」
は外だけの一方通行ででなく、 自分の内面にも意識が行き、景色や音、匂いなどを感じ、
味わう余裕が生まれます。
演技は、「出す」事も大事ですが「受ける」事の方が大事です。「感じを受ける」
を感受性といいます。

決して、ただ、がむしゃらに思い込もうとするのでなく、作る・出来てるかどうか確認
・否定、という現実ではやらないことをやめる事によって信じやすくなるのです。
すべて「役になりきろうとしてはいけない」にも当てはまります。

まとめると
・「100%でなく1%でいい」から入る。
・「否定を入れない。」
・つくるのでなく、「もうある。そこにいる」

 

【役の生活感】

演技には感情は絶対必要です。しかし、それ以前に役の生活感が必要になります。
実生活を思い出してください。何も無いのに、急に感情が来るということはありません。
生活の中の何らかの出来事・理由・動機・状況によって感情が起きます。
つまり、現実の生活があるから感情が起きるのです。
同じように演技でも、急に取って付けた様な感情は自然ではありません。
俳優は、舞台で役の生活を ちゃんと送る事が大事です。
ちゃんと送っている生活の延長線上に、何かの刺激(出来事・相手のセリフなど)に
よって 感情を呼び起こされるのです。

例えば、役がある作業をしていて別の役に邪魔をされて怒るという場面があったとしましょう。
よくやってしまう 間違いは、怒ろうと待ち構えている事です。
何度も言うように、直接、感情を操作する事はできません。
感情とは結果です。この場面でいうなら、 いつでも怒れるように心の準備をするのでなく、
ある作業を一生懸命やっていればいいのです。
その作業が好き・急いで終わらせて早く帰りたい、というような理由を作っていれば
邪魔をされたら自然と怒れます。
作業に集中するのです。
執着するぐらいの方が結果、怒りやすいでしょう。怒る事だけに意識が行って作業を
おろそかにするのは、 怒る感情を無理やり押し出すことになります。

そして、役の生活感は、作品を通して一本筋が通っていなければなりません。

たしかに、生活感と言うのは些細なので、感情ほど実感しにくいものですが、
緊張を取って、気負いも無く、 注意の方向を使い分け、超課題を持って、
繊細なものに気付いて認めてあげようとしていれば育っていきます。

・「五感の記憶」で場所が出来れば、舞台にいる感覚から、役に与えられた場所の気分
・情緒・生活感 を掴めます。
・「身体的行動」で注意の方向を使い分ける事によって、生活感や心理的なものを掴めます。

 

【感情解放】

俳優はマリオネットではない。
綺麗も汚いも、心のすべてをさらけ出す者なのだ。

いろいろな役をやり、いろいろな感情を求められる俳優は、幅広く、奥深く、繊細で、
力強い感情が日常から 開放されている必要があります。
強い感情の人が、弱い感情の役をやるのは可能ですが、弱い感情の人が強い感情の
役をやるのは不可能です。
演技では直接、感情を作ったりすることは出来ませんが、想像力を使って感情に
タッチする際、感情が動きやすい事は俳優にとって大きな武器になります。

感情といっても喜怒哀楽のような4種類ではありません。
もっといろんな、しかも自分が体験した事がないような 感情や、
出したくないような感情もあります。
ずるさ・いやらしさ・せこさ・情けなさ・弱さなど、全ての人が心に持っているけど、

自分自身でも認めたくないし 他人に見せるなんて冗談じゃない!
というような否定的な感情もオープンにしていないといけません。

男の人で、テレて優しく出来なかったり、甘えられなかったり、正義心を
出せなかったりする事がよくあります。
もちろん、日常で出来ないのに演技で出来るわけがありません。
出来ているつもりになっていても、表面上だけの心理的に薄い演技になってしまいます。

たまにこんな事を聞きます。「それ以外の感情は出すように努力するが、
その感情だけは出したくない」と。
しかし、感情は総合的なもので、ある特定の感情が閉ざされていているだけで、
全体的に影響して全ての 感情が深くなっていきません。
感情解放は偏っていてはいけないのです。
しかも、意図的にある感情に対して開くのを避けているということは、
躊躇しているということです。
躊躇は全ての成長をストップさせます。

では、なぜある特定の感情だけ開くのを閉ざすかというと、
その感情を出すと他人からどう見られるだろう?
自分はそんなイメージで見られたくない!
というのが一つの理由です。
そのイメージが自分を縛り演技でも人生でも不自由にさしています。
自分自身では気付いてなくて、無意識の内にやってしまっていることが非常に多いです。

ほとんどの人が自分は違うと言いますが、ただ気付いてないだけです。

他の理由は、弱さ・ずるさ・エゴなどが、自分の中にあるという事に気付いて、
傷ついたり嫌な気持ちになりたくないからです。
しかし、そういう否定的な感情でも、自分の中にある事にちゃんと 気付いて
認めることからスタートしなければ、本当の強さや優しさを持てません。
どんなに魅力的な人でも影の感情はあります。
影の感情から逃げることなく、気付いて認めることが一番の克服法です。
大丈夫! 影の感情を持っているのはあなただけじゃないから。
みんな持っているんだから、自分を責めたり、 追い込んだりしないで。
そんなの必要ないことだから。

深く気付いて、認めること。

人生の中でも克服する事はできますが、直接的なエクササイズをするのがいいと思います。
意味の無い執着やこだわり・嫉妬もバカらしくなっていくでしょう。
俳優の心の傷は宝です。
そういう心の傷を持っている役の気持ちが深く分かるからです。
ただ克服したらの話ですが。そうなって、やっと演技で使えるようになります。

それが「人生を送っている一人の人間」である俳優と、演技にとって大事な事です。

 

【超課題(目的)】

演技をするうえでものすごく大事なものです。
役を突き動かす源になるもので、超課題がないと演技は絶対に成立しません。
人生でも、目的地があるから歩きます。
目的地が無くても散歩したいから・健康のため・暇だからなどの 何らかの理由があります。
まったく意味も無く歩く事はありません。それは全ての行動に言えます。
話をするのも、伝えたいため・教えるためという目的に向かって話をします。
今、この長いホームページを読んでる人も、俳優になりたい・いい演技をしたい
・最近演技に興味が 出てきたのでちょっと知りたい、という実人生の中での
「読む理由」があり、俳優・演技について知りたいと いう超課題のひとコマなのです。
つまり、超課題とは欲求を満たしてくれる「ゴールの方向」です。

役は作品全体を通して
何を欲求しているのか?
何をしようとしているのか?
どうして欲しいと思っているか?
それがはっきりとしないと、行動・セリフのベクトルの方向がバラバラになり、
その場しのぎの、 「それっぽく」見せる演技だけになってしまいます。
もちろん、行動も演出で決まっているでしょう。セリフも台本で決まっています。
しかし、微妙なニュアンスを表すには、俳優自身が心を突き動かす超課題を持ってないとダメです。

超課題とは、感情ではありません。
まず、超課題があり、想像・衝動が生まれ、結果として感情が発生します。
それを伝える手段が行動・セリフです。
だから、直接感情を作ろうとするのではありません。

超課題も、

作品全体を通してのもの・
ある期間だけのもの・
その場面だけのもの

と一つだけではなく複数あり、また複雑に絡み合ったりもしています。
超課題を見つける事が役を掘り下げていく事で、俳優の大きな仕事です。
超課題とは「一貫した行動の線」です。

 

【捨てる事】

本番までにセリフを憶え、役の準備をいろいろやらなければなりません。
しかし、せっかく準備したそれらの物を本番では捨てて始めないといけないのです。
なぜ? と思う方もたくさんいると思います。
準備したのを大事に持って演技をすると、その場で本当に考え、
感じるという事ができなくなるからです。

セリフで言うと、セリフを思い出すことに意識が行ってしまい、
相手役と交流する事ができなくなるからです。
では、どうすれば良いのか?
セリフを120%完璧に、自然と出てくるまで憶える事です。
捨てる事は勇気のいる事です。
でも、大丈夫。
集中力や注意の方向が正しく出来ているなら勝手に セリフは出てきます。
勝手にセリフが出てくるというのは、役として感じ、生き始めてる証拠です。
感情などの内的なものについても同じです。
準備したものを出さなきゃ出さなきゃと思っていると、 内的なものは出てきてくれず、
しょうがなく無理やり押し出した ものになってしまいます。

準備の段階で、感情などが出やすい状態にしておいて、 本番では与えられた状況を
信じるように注意を向けておくことです。
劇団などでは、練習でもセリフを間違える事が重大な間違いかのように
怒る所もありますが、 セリフが少し間違えるなんて大した問題ではありません。
捨てるためには最初、間違ったり、失敗したりもするでしょう。
そういうのを通って、捨てても勝手にセリフや内的なものが表れるようにしていくのです。

捨てるとは本当に勇気のいるものです。
普段、強がっている人が意外と捨てる勇気が無いのを目にします。
どんなに、才能があっても「捨てる」ことが出来ないだけで、良い演技になりません。

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